|
更新履歴 |
| 2009,4,30 |
 |
ありがとうみなさん、さようなら【cgiboy】! |
| 2009,4,29 |
 |
トイレ改築 |
| 2009,4,28 |
 |
香苗潰しの地デジカ、キャプラー殺しの糞ズバ |
| 2009,4,27 |
 |
必殺論 |
| 2009,4,26 |
 |
親方の適性も審議せよ! |
| 2009,4,25 |
 |
次なる目標 |
|
|
|
| 大相撲秋場所展望 | 2005,8,31 |
|
朝、家を出ると風がやけに涼しかった。そういえば明日からは9月。季節はもう秋である。
大相撲も『秋場所』。横綱・大鵬以来の6連覇(年6場所定着以降)に挑む朝青龍の余裕の会見を見る限り、今場所も優勝は動かないように見える。若手も伸びてきてはいるが、朝青龍の牙城を崩すほどの力はまだ感じられない。以前のようにスカッと全勝、というワケにはいかないだろうが、前半に取りこぼさなければ『優勝』という点では揺るぎないかと思われる。
対抗馬は、大関陣より新関脇の琴欧州ではないか。敗戦後に支度部屋で荒れたり、優勝がかかってガチガチになった先場所千秋楽のように精神面で課題はあるが、体も一回り大きくなって一気に押されることがなくなった。まだ荒削りで「これ」といった型を持っていないが、右でも左でも差して相手を起こして一気に寄る、投げるといった相撲を覚えると“欧州出身力士初の大関”も見えてくる。
外国勢に押され気味の日本人力士だが、もともと期待の高かった普天王が新三役に昇進した。初の上位挑戦となった先場所、不戦勝ふたつという幸運もあったが、2大関を倒して10勝と大活躍。ブログと合わせて絶好調w
新入幕はなく、いささか新鮮味に欠ける番付となったが、十両は一挙に5人の新十両力士が誕生した。中でも注目は、エストニア出身の把瑠都(ばると)。初土俵から所要8場所での新十両は史上2位タイの記録。来日2年にして日本語も堪能で、目標はとの記者の問いに 「大関」 と答えたところ、師匠(三保ケ関、元大関・増位山)と同じだねと言われると 「じゃあ横綱(笑)」 と切り返すあたり、順応性の速さに加えて気の強さも垣間見える。こういう力士は強くなる。金髪のマゲにも注目だ。
番付を見渡すと、そのほとんどが外国人と学生出身で占められているのに気付く。国産の叩き上げとして期待され、幕内までは一気に上がってきた稀勢の里であったが、今だ幕内下位に低迷中のうえ、ここ2場所負け越しが続いている。とはいえ、まだ白鵬より若い19歳。幕内昇進から1年、そろそろ大爆発の予感もするのだが…?
秋場所は9月11日初日。
ぎっちょ |
| |
|
| 最悪日誌 | 2005,8,30 |
|
【8月29日(月)】 月いち営業所会議のあと、M子ちゃんを除くメンバーで軽く一杯…のところが、『爺』体調不良で酒不可ときたもんだ。とりあえず居酒屋には行ったものの、そんなワケでいつも人一倍ビールを飲む『爺』がウーロン茶となったため、ワタシ一人が飲酒(所長もS木も酒は飲まない)という“異常事態”。カシスソーダ3杯嗜む。 『爺』の体調も考慮し、二次会はナシということで解散。『爺』は営業車で帰宅するため駐車場へ。所長、S木、ワタシの3人で駅に向かって歩を進めていると、何を思ったか所長が 「一服して帰ります。お疲れさ〜ん」 と、どっかと駅前広場のベンチに腰掛けてタバコを吹かし始めた。 S木と二人きり…_| ̄|○ 早く別れたくて、改札へ向け急ぎ足。 「『爺』、ホントに体調悪そうでしたね。ニヒヒヒヒヒヒ…」 S木が話しかけてくるのと、改札口に差し掛かるのとほぼ同時だった。 「じゃここで…」 S木の問い掛けに答えることなく、逃げるように改札口に飛び込むワタシ。S木相手とはいえ、あまりに感じ悪い対応にちょっと自己嫌悪…(>_<) 【8月30日(火)】 夕方、出先から戻ると駐車場には『爺』の営業車一台のみが停っていた。所長はともかく、S木もまだ戻っていないようだ。S木とハチ合わせしないように手際よく車を降りて、営業所に戻る。『爺』災難。今度は身内に不幸があったらしいとのことで定時前に帰宅する『爺』。定時を過ぎてM子ちゃんも帰宅… またS木と二人きり…_| ̄|○ 所長、早く帰ってきて!という願い虚しく 「今日、戻りませ〜ん」 という所長からの電話が入る…ガガガ〜ン!最悪の展開。一刻も早く帰ってくれというワタシの願いも虚しく、S木は営業所のテレビのスイッチを入れる… (`曲´#)やることねぇんなら早く帰れバカ ワタシはS木に背を向け、パソコンで今週いっぱいで仕上げる予定にしていた役所の発注状況一覧を作るためにキーボードをたたく。 10分経過。 「ぎっちょさん、まだ帰らないの?」 (`曲´#)おめぇと二人でなんてまっぴらごめんだよ 「工場からの連絡待ちだから先帰ってくださいよ」 「え?あ、ああ…」 と言って再びテレビに見入るS木。こうなったら根比べだ。 30分経過… 「じゃあそろそろ帰りますよ」 とようやくS木が重い腰を上げた。今週いっぱいかけて作る予定にしていた書類が、ほぼ出来上がってしまっていた。 (`曲´#)ああ…もう…とっとと帰れよ! 「明日、駅前に自民党の武部が来るらしいですよ。ムヒヒヒヒヒヒ」 (`曲´#)だから? 「人、集まりますかね?」 「小泉首相でも来なきゃ人、集まらないでしょ…」 「え?いや、小泉は来ないでしょ。ムヒヒヒヒヒヒ」 (`曲´#)ムダ口たたいてないでとっとと帰れバカ 2日続けての悪夢。それにしても、ワタシのS木に対する態度は自分で自分がイヤになるほど冷たくて感じ悪いのに、それをものともしないこの男の無神経ぶりは、ある意味“脅威”だ。このムヒムヒバカとの不愉快極まりない日常… いつまで続く?この無間地獄…_| ̄|((((((((((○ ぎっちょ 『実録!G・S戦記』に戻る |
| |
|
| 丸山弁護士完走 | 2005,8,29 |
|
『24時間テレビ』恒例の100キロマラソンに挑戦した、同局『行列のできる法律相談所』の人気者・丸山和也弁護士が見事完走を果たした。59歳での走破は史上最年長記録とのこと。衆人環視のもと、番組的にリタイヤしにくい雰囲気の中、よく頑張ったととりあえずは褒めておきたい。とりあえずは…w
大の大人が黙々と汗水垂らして走る姿を見て、『頑張ろう!』とか『負けない!』とかいった具合に共鳴する方もいるのだろうが、所詮感動の押し売り、内輪ウケ、「またやってんの?」という冷めた眼があるのもまた事実である。そもそもこの企画がどういったいきさつで始まったかご存じであろうか?95年、あの未曾有の大惨事【阪神大震災】があった年、被災地である神戸から復興と平和への祈りをこめ、大勢の人達の手でつないだタスキを、自らも被災者であるタレントの間寛平が(確か日光あたりでだったと記憶しているが…)それを受け取って100キロ先の武道館を目指して夜通し走る、というものだった。この時、寛平は完走することができなかったのだが、逆にそれがドラマティックなリアリティを生み出して、いたく感動させられたものだった。寛平は、翌年もリベンジを期してこの企画に挑戦し、今度は見事完走を果たしたのであった。
ここでやめておけばよかったのだ。ここでやめておけば…
あるいは“伝説”となったかもしれないこの企画。ところが、これに味を占めたのか翌年からはただ闇雲に芸能人が走るお涙頂戴企画へと成り下がっていく(まあもともとがお涙頂戴番組なワケだがw)。またこれがほぼ時間きっかりに武道館に辿り着くもんだから、当然と言っちゃあ当然なのだがあらぬ疑いもかけられて、一昨年の山田花子の時なんか『週刊文春』がピッタリマークして誌上レポートを掲載したりしたこともあった。ゴール直前の『負けないで』の大合唱も他にないのかよ、って感じだったし…。
え?何だかんだ言いながら案外ちゃんと見てるじゃない( ̄ー ̄)ニヤリッって?いや、とりあえず見るけどね、ヤジ馬根性でwけど、丸山弁護士が完走した以上に北村弁護士が感極まっていた方がグッときたけど(火暴)
ぎっちょ |
| |
|
| 届かぬ思い 〜PRIDE GP 観戦記 | 2005,8,28 |
|
来日当初はヒール(悪役)的存在であったヴァンダレイ・シウバが、今や“絶対王者”として絶大な人気を誇るようになったターニング・ポイントとして挙げられる試合が、2002年4月の【vsミルコ・クロコップ】戦ではなかろうか(結果はドロー)。当時のミルコは1R3分かつ寝技制限ありの特別ルールでの参戦で、純粋なPRIDEルールで戦ってはいなかった。そういった反感もあって、会場の雰囲気は“純PRIDE戦士”であるシウバへの声援であふれ返っていた。
あれから3年…
シウバに加え、ミルコもKO連発の試合スタイルが受け入れられて、PRIDEの看板選手に成長した。計らずも今日、この二人が“思い”を背負って試合に臨んだ。
シウバは阪神の野球帽をかぶっての入場スタイルとなった。これは、GP開幕戦で桜庭和志がかぶっていたもの。6月大会で敗退した桜庭は、捲土重来を期して現在ブラジルはシウバの所属する『シュート・ボクセ』で単身武者修行中。永遠のライバル・桜庭から託されたこの帽子と、初めて桜庭に勝った時にもらった手製の『SAKUベルト』を携えての入場となったのは、リスペクトする桜庭への思いを、その桜庭に半ばラフファイトともいえる戦いぶりで勝利して勝ち上がった対戦相手、ヒカルド・アローナにぶつけるためでもあった。
結果は…完敗であった。アローナを崩すこともままならず、終始下になっていたのはシウバの方。劣勢をハネ返すこともできないまま、同階級の選手からは初の黒星となってしまった。
ミルコもまた、2年にも及ぶ王者・ヒョードルへの思いを胸に、今日のタイトルマッチに挑んだ。3年前、会場いっぱいのブーイングを浴びた男は、逆にタイトル奪取を期待する暖かいファンの声援の中を入場してきた。
だが…こちらも力及ばず判定で敗北。2R以降はスタミナ切れで青息吐息だった。K−1時代からスタミナに課題があったミルコ。王者の壁は、想像以上に分厚かった。
ミドル級トーナメントを制したのは、マウリシオ・ショーグン。兄貴分・シウバを破ったアローナをKOで倒しての見事な優勝。届かなかったシウバの思いを見事に受け継いだ格好になった。
【PRIDE格闘ドラマ】は、絶対王者陥落と新星誕生により新たなる展開をみせた。
ぎっちょ |
| |
|
| どうする!どうなる?星野仙一 | 2005,8,27 |
|
プロ野球ではペナントレース以上に【巨人監督後任人事】についての話題が賑やかさを増している。というのも、ここへきてあの“燃える男”星野仙一氏の名前が取り沙汰されはじめたからである。
星野氏は、昭和43年のドラフト1位で中日に入団。阪神に入団した田淵幸一、広島へ行った山本浩二とともに“3羽ガラス”と呼ばれ、その年のドラフトでの注目選手の一人だった。巨人入団が有力視されていた星野だったが、フタをあけてみると巨人が指名したのは【島野】という選手… 「ウソやろ?“星”と“島”を書き間違えたんとちゃうのか?」 と言ったきり絶句した星野は、プロ入り後は巨人戦となると異常ともいえる闘志で向かっていった。自分を裏切った巨人に対する反骨心が、星野のプロ野球人として最大の糧であった。
昭和57年限りで引退した星野はその後、NHKのスポーツキャスターとして全国区の人気者となるのだが、その人気をかなぐり捨てて低迷する古巣・中日の監督に就任したのは昭和62年。巨人への移籍が濃厚とされたロッテの落合を土壇場で“強奪”するなど就任直後から話題の中心となった。一時退任したのち、ナゴヤドーム元年の平成9年に復帰。13年に勇退するまでにリーグ優勝を二回果たした。勇退直後に今度は阪神監督に就任。退任直後の同一リーグ球団への“移籍”は賛否両論巻き起こしたが、2年目にきちんと結果(18年ぶりリーグ優勝)を出して周囲を黙らせた。その年のオフ、勇退して生え抜きの岡田彰布に監督を譲り、自身はSD(シニアディレクター)となって裏方に回り、現在に至る。
星野殺すにゃ刃物はいらぬ。「球界のため」という文句があればいい、というのはワタシが勝手に作った造語であるがw阪神監督就任を決意したのもその思いが強かったからであることは明白であったし、今回も同様の思いがあるだろう。しかし、それ以上に厄介なのが体質。「盟主」を気取ってふん反り返るような巨人の体質は、星野氏がもっとも嫌うところである。阪神の時は自身の出身地(岡山県倉敷市)とも比較的近いこともあって思い入れもあっただろうが、入団にまつわるいきさつもあるし、今回の巨人からの要請を受ける可能性は低いのではないかとワタシは見る。仮に受けるとしても、【全権監督】かつ【ナベツネの現場介入不可】くらいの条件はつけなければならないだろう。
要請を受けるにしろ受けないにしろ、言いたいのはただ一言。
『星野仙一は星野仙一らしくあれ』
という、ただその一点のみ。
ぎっちょ |
| |
|
| ホームセンター | 2005,8,26 |
|
近畿から関東を直撃した台風は明け方には太平洋へ移動して、朝起きた時にはすでに雨は上がっていた。それでも通勤途上では、強風のせいかひっくり返ったゴミ箱や電柱から剥がれ落ちた看板、立て掛けられたまま裏返しになった上に斜めさかさまになった立て看板もあった。台風の猛威を目の当たりにして、もう少しごゆっくりしていただけたら仕事も休めたかもしれないのに…なんてイケナイ考えも浮かんだりして(*^_^*)
今日は所長が東京本部で所長会議、『爺』は知人の通夜のためいずれも戻らず直帰の予定。となると、夕方はワタシとS木の二人きり…なんてまっぴら御免なのでw近々製品の納入が始まる現場の窓口となる建材屋の社長に「価格の打ち合わせ」を口実に4時にアポをとり、そのまま直帰という予定を組んだ。社長はあれやこれやと話し好きな人で、いつも軽く1時間くらいはしゃべり続けているので、4時に行けば5時くらいまでにはなるかと思ってのことだったのだが、4時5分くらい前に伺うとすでに来客が。 「ゴメンゴメン。急な来客でさあ」 と謝る社長。とりあえず金額と希望する取引条件を手短に伝え、社長が週明け早々に元請にこれで交渉するということで足早に退散した。
あんまり早く帰宅してもしょうがないので、近所のホームセンターに立ち寄った。DVDのコレクションが増え、以前買ったラックに収まりきらなくなってきたので、新しいのを物色しに行ったのだが、どうも目ぼしいモノが見当たらない。と、目に飛び込んできたのが…
【コンパクトキャンプベッド】
超インドア派のぎっちょ、ついにアウトドアデビュー???いやいや。いつも『爺』と飲み明かして帰れなくなった時、事務所に一泊するのだが、一人がけのソファーしかないので寝にくいことこのうえない。前にエアマットも購入したのだが、エアを入れるのに時間がかかるうえ夜中に一人で「シュポシュポ」やってるのはな〜んか空しい…ということで、前々から欲しかったのだ、こーゆーの。組み立てもカンタン、バッグに収納して持ち運びもできる。ってなことで、早速週明けこれを肩に背負って出勤。その日は月いちの営業所会議なので、飲み会になったらいきなり使用することになるかも。
え?事務所に置きっぱなしにしたら、S木に使われないかって?心配ご無用。組み立てたまま置いておいたらその可能性無きにしも非ずだけど、バラしておけば何かにつけて人任せなヤツが自分で組み立てしてまで使うことはまずありましぇぬからw
ぎっちょ |
| |
|
| ろえほにうよいた! | 2005,8,25 |
|
世に数々の歌あれど、ワタシのアドレナリンを分泌するのに最適な曲は間違いなく『太陽にほえろ!』のテーマ曲、これに尽きる。先の安値見積事件の際に問題解決のため得意先へ向かう営業車内で聴いていたのは、独自に編集した『太陽にほえろ!』のテーマ曲集であった。メインテーマをはじめ、主にカーチェイスや若手刑事の疾走シーンで使用された曲を集めたCDで、心の底から「カッ!」と燃えてきて 「今行くぞ!待ってろよ!」 ってな気分になる。とはいえ、運転中に“走る”や“アクション”のテーマ曲というのは、やはり若干の違和感がある。やはりこういう時は“カーチェイス専用曲”に限るのである。
『太陽にほえろ!序曲』は、76年に登場した沖雅也のスコッチ刑事のテーマ曲と同時製作された曲で、比較的後期まで使用されたナンバー。『ゴリさんのテーマ』は、仲間のピンチに駆け付けるといったシーンに多用され、アップテンポな中にどこか悲壮感を漂わせる曲。『ドック刑事のテーマ2』は、神田正輝のドック刑事登場の80年以降番組終了まで使用され、逃走を図る犯人を追走するシーンによく使われた。タイトルからして“まんま”の『追跡ハイウェイ』も、番組後期のカーチェイス用スタンダードナンバー。主だったところを紹介すると、そんなところだろうか。
そして、何といっても『メインテーマ』である。ちなみに、サントラや劇中BGMも含めて『メインテーマ』のパターン(バージョン)が全部で何通りあるか答えられる方はかなりの“通”である。実は、ワタシもそこまでなるとよくわからないw「スローバージョン」ひとつとっても10以上のバリエーションがあるので、細かく分析すればかなりの曲数になることは間違いない。ことオープニング使用曲に限定しても、
1.オープニング使用タイプ1 ※放送開始から362話「デイトヨコハマ」まで使用 2.メインテーマ’79 ※スニーカー登場からロッキー&長さん退任まで使用 3.オープニング使用タイプ2 ※タイプ1のイントロ後のAメロのみ編集したもので、363話のボン殉職編で一度きり流れたのち、82年9月のボギー登場から86年7月まで使用された 4.メインテーマ’86 ※アレンジをガラッとリニューアルしたもの。DJ登場からパート2終了まで使用 5.1、2、4のサントラ収録用 ※4のみロングバージョンがある 6.メインテーマ’97 ※舘ひろしを【新ボス】に据えたリメイク作品のオープニング 7.メインテーマ’98 ※6の続編(’98、99年放送)のオープニング 8.メインテーマ2001 ※2001年の特番オープニング
と、ざっと挙げただけで10曲になる。これらの曲のイントロが流れるだけで、名シーンの数々が走馬灯のように頭をよぎる。やっぱ『太陽』ってスゴい。
アニメ『名探偵コナン』の放送開始当初、オープニング曲を聴いて「あっ!」と思った人もいるのではないだろうか?イントロ部分が『太陽』のテーマとまったく同じ旋律だったのだ。すわ、パクリか?と思いきや、これを作曲したのが『太陽』のテーマの作曲者でもある大野克夫氏その人で、話題性を狙った確信犯であったというオチがついたところで。
ぎっちょ |
| |
|
| 8/28 PRIDE GP直前展望 | 2005,8,24 |
|
いよいよ間近に迫った【PRIDE GP 2005 決勝戦】。今回もまた、魅力的なカードが出揃った。
メインとなるミドル級GP準決勝の組み合わせは、
ヴァンダレイ・シウバvsヒカルド・アローナ アリスター・オーフレイムvsマウリシオ・ショーグン
となった。シウバvsアローナは、確執の深いBTT(ブラジリアン・トップ・チーム)とシュートボクセの2大勢力の激突となる。二年前にプライベートで二人が一触即発となった因縁もあり、試合前からただならぬ空気が漂っている。新勢力同士のアリスターvsショーグン戦も激しい打撃戦が予想され、いずれの試合も無傷では終わりそうにない様相を呈している。
そうなると、リザーブ戦の勝者の存在も重要になってくる。
中村和裕vsイゴール・ボブチャンチン
中村は若手成長株としての期待感を買われてのエントリーとなった。百戦錬磨のボブチャンチンの打撃をかいくぐり、リザーバーとして天命を待つことができるか?
そして、ある意味GPを食いかねない注目のカードが、
エメリヤーエンコ・ヒョードルvsミルコ・クロコップ
である。かつて二度までも流れた因縁のあるヘビー級タイトル戦。2年待たされたミルコの思いは届くのか?ミルコマニアのぎっちょは、早くも涙腺決壊モードであるwヒョードルとしては、昨年のGPでの小川戦で見せたような接近戦から組み付いてのパウンド、関節技に勝機を見出だしたいところ。ミルコの打撃はそうそうクリーンヒットしないだろうから、案外短期決着ならヒョードル、長期戦になったらミルコ、ってな見方をしてみる。
ワンマッチでは吉田秀彦vsタンク・アボット。来年ヘビー級への転身が噂される吉田にとっては試金石。はずみをつける意味でも、ここは“狂犬”アボットをきっちり仕留めておきたい。もう一試合はファブリシオ・ヴェウドゥムvsローマン・ゼンツォフ。ミルコのスパーリングパートナーであり、今年2月の大会で“白鯨”トム・エリクソンを締めオトしたヘビー級の注目株・ヴェウドゥムのデビュー2戦目である。相手はヒョードルと同じレッドデビル所属ということで、ヘビー級タイトル戦の『先鋒戦』的意味合いがある一戦だ。今大会で組まれる予定だったセルゲイ・ハリトーノフvsマーク・ハント戦は、ハントが 「まだお金あるからいいや」 と言ったとか言わないとかで?消滅。10月の『PRIDE 30』で、今回のヘビー級タイトル戦勝者への挑戦権を賭けて闘う…か?
ここまでGP準々決勝、準決勝と組み合わせ予想を100%的中させているワタシ。決勝の組み合わせは…
ヴァンダレイ・シウバvsアリスター・オーフレイム
ここでアリスターが勝って、大晦日にミドル級のタイトルを賭けてリマッチ、という流れはどうだ?
ぎっちょ |
| |
|
| 不祥事 | 2005,8,23 |
|
夏の甲子園2連覇を達成した駒大苫小牧高校の野球部長が、部員に暴力をふるっていたことが明らかになった。練習中や食事中のマナーが悪いと、平手やスリッパで数回殴ったというのだが…
いわゆる【愛のムチ】と【暴力】の境界線を見極めるのは確かに難しい。まあ顔の形が変わったり死に至ったりするような体罰は間違いなく【暴力】と言えるだろうが、「平手で頬を」とか「スリッパで頭を」というのは、道徳的な善し悪しは別にして、部長には生徒を傷つける意思がなかったのは明らかで、目くじらたてて騒ぐようなもんじゃないと思う。痛みをもって覚えることもあると、ワタシは思うから。
事件は当該部員の保護者からの通報で発覚したらしいが、まずその保護者に聞いてみたい。お宅の息子はなぜ殴られたのかと。態度が悪かったんじゃねぇのかと。息子の態度が悪いことは棚に上げて、殴った部長が一方的に悪いってか?そうやって、わが子可愛いやで事の善悪もろくすぽ教育せずに猫っ可愛がりするから、自らの欲望のおもむくままに人を殺しちゃったりするようなヤツが出てくるんじゃないのか?子供のいないワタシがこんな事言っても説得力ゼロかもしれないが、どうも最近学校にばかり責任をなすりつけようとする無責任な保護者が多すぎないか?
高校野球における【連帯責任】にも疑問符が残る。確かに野球は団体競技。チームワークは大切だ。しかし、問題を起こした生徒のみが処分されるなら個人が責任を痛感するだけで済むけれども、連帯責任を負わされることによって真面目に野球に取り組んでいた生徒まで試合ができなかったり甲子園に行けなかったりすることは、野球部員同士の間に遺恨を残すことになりはしないか?高校野球は教育の一環なんてよく言われるが、遺恨を残すようなことをしておいて何が教育かと問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。
大会前、明徳義塾が出場を辞退した際にも厳しい論調で語らせてもらったが、あの場合は生徒に非があるのが明らかな上に、隠蔽を図るといった学校の態度に「勝てば何でも許される」といった奢りが見えたからであった。大会前に発覚しながら隠蔽したという行為は今回も同じだが、果たして部長が100%悪いかといえばそうは思えないし、他県の有力選手の寄せ集めである明徳よりも地元の道産子を丹念に育て上げた駒苫に思い入れが深くなるのは致し方ないことかもしれない。続報によれば、事実関係を調査のうえ優勝取り消しの可能性もあるという。いずれにしても、このようなことでせっかくの偉業に水をさされたことが残念でならない。
ぎっちょ |
| |
|
| 60万安値見積顛末記 | 2005,8,22 |
|
先日お話しした“単価を間違えて60万安値の見積をブッこんだ”一件は、その後思わぬ展開となった… 入札当日の夕方、見積を提出したH興業が落札していないことを祈りつつ、積算の担当者に恐る恐る電話。 「ど…どうでした?」 「ああ、ウチでとったよ。またよろしくね」 (((((((( ;゜Д゜)))))))ガクガクブルブルガタガタブルガタガクガクガクガクガク 最悪の展開。一度電話を切り、この難局を乗り越えられる妙案はないものかと、見積依頼が来た当時の会話を思い返してみる… そういえば製品が特殊品だったので製造メーカーへ定価を問い合わせしようとしたところ、すでにそこが夏休みに入っていて連絡がとれない状況で、その旨積算担当者に説明して盆休み明け提出ではダメかと尋ねたところ、休み明け早々の入札なので待てないとのこと。とりあえず“想定の範囲内”で見積せよ…“想定の範囲内”で…??? これだ!わずかな光明を見出だしたワタシは価格を間違えたことはナイショにして、メーカーに確認したところ想定以上に価格が高かったと説明すると、じゃあ正しい見積を出してくれということになった。ラッキー♪ 早速、再度作成した見積書を持参して 「いやあ〜特注品なんで思ってた以上に高かったっすよ〜ニヤニヤ」 と笑ってゴマかしながら、前にもらったのからどれくらい上がってるの?と書類をひっくり返す担当者。しかし、FAXで送ったハズの見積書が見当たらない。 「あれぇ〜…どこにはさんだっけなあ…」 ガサゴソガサゴソする担当者の手元で、ふと工事件名が書かれた仕様書の表紙が見えた。見積した現場は『14-5工区』なのに、今机上でめくられているのは『14-4工区』… 「あの…それ『14-4』ですけど…」 「ああそうだよ。ウチがとったのはこっちだよ」 ・・・・・・(・・)・・・・・・ 「見積したの、『14-5』ですよね…?」 「あん?…ああ、そうだそうだ。ウチがとったのは特殊品じゃないほうだった。ゴメンゴメン(笑)」 どっと体の力が抜けた気がした。気分的に追い込まれ、なんとかせねばと奔走したのは何だったのか…ま、失敗も事なきを得たからいっか、ってことでひとつ(o^-')b S木がまたカゼをひきやがった。こないだの時と同じく、クーラーをかけっぱなしにして寝たのが原因とのこと。学習能力のカケラもないのか、このバカ。そういえば休み明け初日に、ヤツが夏休み中マレーシアに行ってせっかく買ってきた土産に目もくれずシカトしてたら、さすがのS木もムッとしてたなあwでもさ、 去年とまあ〜ったく同じヴィトンの財布のニセモノがい〜っぱい… なんてラインアップじゃあ、仮に今までのいきさつがなかったとしてもゲンナリするわなあ、なあ?もっと脳ミソ使って考えて買い物しろよなバカw ぎっちょ 『実録!G・S戦記』に戻る |
| |
|
| 『国民新党』って…( ´,_ゝ`)プププッ… | 2005,8,21 |
|
心の師・みうらじゅん氏がよく話すエピソードの中に、小泉首相にまつわるこんな話がある。97年、『マイブーム』で流行語大賞を受賞したみうら氏が、授賞式で隣席したのが、『郵政3事業』でやはりその年の大賞を受賞した小泉首相(当時厚生大臣)であった。小泉首相はみうら氏に、 「キミも【ジュン】なんだねぇ」 と馴々しく話しかけてくると、さらにこう問い掛けてきたという。 「どんな字を書くの?」 「は…はあ、糸偏の『ジュン(純)』です」 ※『純』はみうら氏の本名 「あっ!じゃあボクと二人で【ダブルジュンジュン】だねっ!」 小泉首相が政治家らしからぬ軽さではしゃぐのを見て薄気味悪さを感じたみうら氏は、それ以後小泉首相と会話を交わすことはしなかったそうだw
その小泉首相が“改革の本丸”と位置付けた郵政民営化法案の採決に端を発した衆院解散総選挙で、法案反対派の一部自民党議員が党を離脱、新党結成を表明した。その新党の名は…
【国民新党】
ってだあかあらあ〜…なんでわざわざ党名に【新】の字を入れるかなあ…新党ったって、内実は自民党の中核を担ってきた百戦錬磨のお歴々だし、とりあえず目新しさを強調するのに【新】って入れますた、よっこらしょ、くらいの感覚なのがミエミエではないか。例えるなら、鮮魚市場で並んだ魚に水をブッかけるような見せかけだけのつややかさ、新鮮さ。もう何やってんだか…ドッチラケって感じなのである。だってそうっしょ?仮にこの先10年経っても【国民“新”党】ですかって。せいぜい2〜3年もてばいい方で、あわよくば民主党あたりと合流、最悪多少立場は悪くなっても頭下げて自民党に戻るか、やめちゃっても…ま、いっか?みたいな。
小泉首相の人を小バカにしたような答弁の仕方は確かに噴飯モノだが、政界に長くあった道路・郵政族を中心とした癒着の体質をリセットしようという姿勢が見えるのもまた確か。ワタシは政局にはあまり明るくないが、ひとつだけ言えるのは“ガキのケンカ”のごとき内輪モメを延々見せられて我々国民もいささかウンザリしている事実を、いみじくも【国民】の名を掲げる新党のみなさんは承知していらっしゃるのだろうか?ということだ。
反対派ツブしの候補者擁立が進む中、あのムネヲさんも新党を旗揚げして出馬表明。新党の名は【大地】。有罪判決を受けての出馬にはいささか『?』マークがつくが、地元である北海道をイメージさせるネーミングではある。名付け親は松山千春氏。 「ホントは【新党 禿】ってしたかったんだけど、【禿】って漢字が難しいからやめたんだ」 とのこと。選挙の開票速報で、我が曽根純恵キャスターが 「えー…北海道10区、【ハゲ】の鈴木ムネヲさん、当選確実です!」 と報じるのを想像して、またまた( ´,_ゝ`)プププッ…
ぎっちょ |
| |
|
| 快挙と失望と | 2005,8,20 |
|
今年は、久々に高校野球人気が再燃しているという。昨年までジリ貧だったTV視聴率、観客動員ともアップ。早実の荒木大輔⇒池田のやまびこ打線⇒PLのKKコンビと続いた【黄金時代】を知る世代が、一番の視聴層である30代後半〜40代になり、また今年は往時のKKコンビを彷彿とさせる大阪桐蔭の辻内&平田コンビの登場などあって、その傾向に拍車をかけたのではないかと見られている。
かくいうワタシも、今年は西東京大会での母校・都立小平の快進撃もあって、予選からかなり熱中して見たクチだ。応援に熱が入る順序は母校を筆頭にして、二番手は「京都代表」である。現在は埼玉在住だが、思い入れという点ではやはり生まれ故郷の方がより深いものがある。実は、生まれてこのかた京都代表優勝の美酒を味わったことは一度もなかった。昭和56年(第63回)の京都商(現・京都学園)、平成9年(第79回)の平安、同10年(第80回)の京都成章と3校が決勝まで進んだものの、いずれも大旗には手が届かなかった。
昨日の準決勝。第1試合で京都代表の京都外大西が決勝進出を決め、相手が駒大苫小牧に決まって密かにほくそ笑んだ。大阪桐蔭よりは組し易い、そんな気がしたからだ。しかし、想像していた以上に駒大苫小牧は強かった。かつて“出ると負け”の代名詞的存在であった北海道代表のひ弱さは微塵もない。特に光ったのは守備。予選から通じて甲子園準決勝まで無失策。決勝で2つの失策を記録したが、その堅守ぶりが強さの一端であったことは間違いない。
2年連続優勝が難しいのは、前年からメンバーが入れ替わってしまうことや57年ぶり(6校目)というブランクの長さもさることながら、前回の小倉高校以来前年の優勝校が翌年も決勝に進んだのが昭和58〜59年のPL学園しかなかったことからも明らかだ。なかなかお目にかかる機会がないであろう快挙達成の瞬間を目の当たりにできた半面、またしても故郷に真紅の優勝旗が翻る夢はおあずけ…まあ、母校の甲子園出場と合わせて来年以降の楽しみが残った、とここは前向きに考えることにしておこうかw
【駒大苫小牧高校 校歌】 (作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰)
新人立てり立てり 竹は波うつ 晴れたりこの空 この我が駒沢 漲る緑は光と渦巻く 旃檀林 旃檀林 時代は正しく 飛躍し来れり 捉えよ 輝くこの現実 我等が校旗は 雲と起れり
今年は充実したイイ夏だった♪
ぎっちょ |
| |
|
| 甲子園熱闘史 最終夜 | 2005,8,19 |
|
夏の甲子園も、いよいよ決勝を残すのみ。ということで、このすぺさる企画も今年は今夜が最終章。長らくご静聴ありがとうございますたm(_ _)m
お題は『因果応報』
第64回大会(昭和57年)は、早実のエース・荒木大輔最後の夏で、悲願の全国制覇なるか?が大会前の焦点であった。早実は順当に勝ち進み、準々決勝で“天王山”と目された池田(徳島)と激突した。池田は豪腕・畠山(のち南海、ダイエー、横浜)を中心に江上・水野(のち巨人)の2年生長距離砲二人を擁する強力打線が売りのチーム。球場に金属音をこだまさせるところから“やまびこ打線”とも呼ばれたこの強打者たちを荒木が抑えることができるかが注目された。結果は…江上や水野が容赦なく荒木から本塁打を放ち、木っ端みじんに粉砕して14―2の大差で池田の快勝であった。この余勢を駆って、池田は決勝でも広島商を12―2で下し、悲願の大優勝旗を故郷に持ち帰った。
翌年の65回大会は、その年の春センバツも制して史上3校目の“夏・春連覇”を達成した池田が、史上初となる『夏―春―夏』の3連覇を達成するかが焦点となっていた。順当に勝ち進んだ池田が、準々決勝で強豪・中京(愛知)を接戦の末に下して迎えた準決勝。相手は大阪代表のPL学園。この年のPLは、エース桑田・四番清原の一年生コンビが話題のチームで、実力的には池田より劣ると見られていた。ところが、いざゲームが始まると状況は一転、豪腕・水野の投球がピンポン玉を打ち返すかのごとく痛打される。口火を切ったのは一年生の桑田。左翼スタンド中段に打ち込む大ホームランに、マウンドの水野は呆然自失。続く住吉にも桑田と同じところへ打ち込まれる二者連続ホームラン!
「水野が打たれます! 今まで自分たちがやってきたことを 相手にやられてしまいました!」 (ABC朝日放送・植草貞夫アナの実況より)
まさに“因果応報”。豪打で相手をネジ伏せてきた池田が、PLの猛打の前に夢破れた瞬間であった。
池田に勝ったPLは、決勝でも横浜商(神奈川)を破って優勝。桑田・清原中心の安定したチーム構成から、池田の果たせなかった連覇の夢を託されたが、翌年は春夏とも準優勝に終わる。これも“因果応報”?敗れし者の怨念を背負いて戦う者の宿命(さだめ)なのだろうか…?
今年の決勝は、駒大苫小牧vs京都外大西。京都勢は98年の京都成章以来の決勝進出。駒大苫小牧が2連覇を果たせば、大会史上では57年ぶりの快挙となる。
ぎっちょ |
| |
|
| 年いち健診日誌 | 2005,8,18 |
|
休み明け、いきなり単価間違いで60万安値で見積するという、S木並の大チョンボを犯してかなりヘコんでしまった。と言っても見積書を作ったのは休み前なので、正確にはミスったのは休み前のワタシということになる。どちらにせよ、ワタシのチョンボということには変わりないワケだがwあとは安値提示した業者が落札していないことをただただ祈るのみ…
そんなこんなで今日は、朝から健康診断を受けてきた。去年までは、東京在籍時と同じ鶯谷の健康センターだったのが、今年は大宮の自社営業所近くでの受診と相成った。朝は出向先の事務所には行かず自社営業所へ直行して、K副部長とH課長との三人でセンターへと出向いた。
読者の方々は、大半が“妙齢”だと思われるので、すでに体験済みの方も多いのではないだろうか…
そう、バ リ ウ ム 地 獄
胃のX線検査の際には避けては通れぬ道。とはいえ、少々粉っぽいのをガマンすれば味そのものはヨーグルトドリンクテイストで、それほど苦にはならない。問題なのは、その前に胃を拡幅するために少量の水で飲まされる粉末の炭酸。これがまた夕べから約12時間、何も入れていない胃袋にダイレクトに“クる”。ゲップが出そうになるのをこらえての検査。なぜなら、ゲップしてしまうと再度バリウムを飲まなくてはならないからだ(K副部長はこらえきれずにゲップしてしまい、バリウムをおかわりしたそうなw)。
さらに問題なのはこの先である。係員の指示に基づき、検査台の上で上向いたり下向いたり回ったり横向いたり…人一倍プライドの高いワタシはw係員の言いなりにしかなれないことで、タマらなく屈辱感にまみれつつムカつく。けど“M”のヒトや“女王様プレイ”などを嗜むヒトは、あるいはこういうのがタマんないのかな?とふと思う。ということは、ワタシは“ドS”ということか?やったことないからわからんがw
そうそう、そういえば胃の検診の前に注射を打たれた。なんでも、胃があまり動かなくなる薬とのことだったが、注射を打つ看護婦がその前の採血の時、右腕から採ろうとして血が出ずに左腕に代えさせられたヤツで、ダイジョブかいなと少し不安になった。一日三回も注射されるなんて初めてなんだものw
夕方事務所に戻って所長に、バリウムの前に注射された話をすると、 「胃カメラならわかるけど、バリウムで注射なんて聞いたことない」 と言われた。じ…じゃあワタシが打たれたのは何の注射なのだ…?注射には洗脳薬が入っていて、夜な夜な夢遊病者のように遠隔操作されて悪事を働かされたりして…いい歳してそんな幼稚な妄想してっ!と誰か叱ってください…やっぱ“M”だったりして(火暴)
しかし、ワタシは冒頭の件でかなりヘコんでいるのに、これがS木だったら 「どーもすんませんでした。ムヒヒヒヒヒヒ」 と笑って済まそうとするんだろなと思ったら、何かまた腹立ってきた(-"-;)
ぎっちょ |
| |
|
| 竜魂 | 2005,8,17 |
|
初日の13日に友人とボウリングやビリヤードなどを嗜み、翌14日に父とゴルフの打ちっぱなしに行った以外はひたすら寝て過ごした短い夏休みも今日で終わり。その最終日の今日、件の友人に誘われて東京ドームで野球観戦ということに相成りました。視聴率低迷とはいえ、それでも全国区。“腐っても鯛”の巨人戦たぁオツですなぁ〜…と思ったそこのア・ナ・タ!巨人は今、名古屋で我がD軍との3連戦中ですよ。ということは…そう、今日見に行ったのは【日本ハムvs楽天】という超マイナーカードだったのです(^-^)v
かく言うワタシがパ・リーグのチームで動向がもっとも気になるのが、かの楽天イーグルスであります。久々に誕生した新球団であるのもさることながら、かつて我がドラゴンズで活躍した選手が多く所属し、さながら“ドラゴンズBチーム”とも言うべきチーム構成であるのもその一因であります。かつての正捕手・中村、96年の本塁打王・山崎、駿足好打で99年の優勝の原動力となった関川…他にも紀藤、酒井、小山、益田と並ぶ歴戦のD戦士たち。それにしても、この“寄せ集め”の弱小チームにおいてもこれらの名前がほとんどスタメンに挙がらないのですから、プロ野球という世界は何て厳しいことでせう…。
さて、ゲームの方は…スタメンで珍しく山崎、益田、関川、酒井と並ぶ打線はさながら数年前のドラゴンズを見るようでもありましたが、これといった見所もないまま4―1で日本ハムが勝利。元D戦士も見せ場を作ることなく、チームも9回に吉岡の一発で完封を免れるのがやっとの体たらく…懸念されたシーズン100敗はなんとか免れそうとはいえ、目標のない最下位チームらしいというべきか、覇気のない試合でありました…。
同級生にして同じ『タケシ』の名を持つということで思い入れも深い中村は、今日は出番がありませんでした。かつて頑強な肉体と強肩で星野監督に見出だされ、リーグ随一の盗塁阻止率を誇って一時代を築いた名捕手だけに、今置かれている状況はなんとも寂しいものがあります。ふと、御互いに年齢すでに40近くになっている現実を思い返して_| ̄|(((((((○
ぎっちょ |
| |
|
| 送り火 | 2005,8,16 |
|
今日は京都「大文字五山送り火」の日。よく“大文字焼き”なんて言い方をする方がいるが、饅頭じゃないんだから正しい呼び方を覚えませう、今日を機会に。
送り火をするのは「大文字」のほかに「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」があり、表記の順に5〜10分おきに点火していく。京の夜空に浮かび上がる送り火の文字模様は幻想的であり、またロマンティックでもある。かつてワタシの生家の2階からは「大文字」の文字ががカンペキに見えたのだが、今は高層アパートなどが建ち並びいささか見るには窮屈なレイアウトになってしまった。また、少し歩けば「妙法」と「船形」は見ることができる。「鳥居形」もなにかのついでで車の中から見た記憶があるが、「左大文字」の送り火だけは今だかつて見たことがない(火がついていない状態では見たことはある)。京都在住ならまだしも、タマの帰省だととりあえずやはり地元の「大文字」を見ないと始まらないってのはあるので、「左大文字」の送り火を見るのはなかなか難しいものがある。
送り火についてもっと詳しく知りたい方はコチラへ ⇒http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/gozan/dai.html
送り火が終わり、高校野球の決勝が終わると、いよいよ季節も“秋”を感じさせるようになる。宿題に追われていたあの頃を思い出しつつ、短い夏休みもいよいよあと1日を残すのみ…。
ぎっちょ |
| |
|
| ドリフDVD第2弾 | 2005,8,15 |
|
今月はじめにようやく出たボーナスで、ドリフの『全員集合!?』DVD−BOXを購入した。3巻組で、昨年1月に発売された第1弾同様コント中心の構成なのだが、今回はゲストとのショートコントが収録されているのが大きな特徴である。沢田研二、桜田淳子、キャンディーズといった面々が志村とカラんでいるのだが、どれも当時と変わらず笑わせてもらった。
また、人気コーナー「少年少女合唱隊」から「早口ことば」と「東村山音頭」が収録されているのも、当時のファンからすれば涙モノではないだろうか。特に「早口ことば」ではあの“世界のミフネ”こと三船敏郎氏がたどたどしい早口ことばをご披露してくれている。その他、荒井注氏の「でぃすいずあぺん」とか、加藤茶の「チョットだけよ」といった往年の名ギャグも蘇っている。
映像特典は『ハプニング集』。伝説の“停電事件”や、本番中に小道具のピストルの火がセットに引火しての火事事件、志村が倒れたセットの下敷きになるシーンなどが当時の素材そのままに再録されている。
前作のオープニングは、メンバーの傑作場面を編集した物が使用されていたが、今回は本編のままのオープニングとエンディングが収録されていた。改めて当時のアイドルたちを見直してみると、キャンディーズは当時はランちゃんが一番好きだったがミキちゃんも悪くないなとか、トライアングルのマミちゃんはけっこうムチムチしててイイなあとか、新しい発見があったりもした。でも、松田聖子は相も変らぬガニ股だったけどw
ぎっちょ |
| |
|
| 甲子園熱闘史 第三夜 | 2005,8,14 |
|
今日のテーマは、『一日だけのタイトルホルダー』
第67回大会(昭和60年)といえば、PL学園・桑田&清原の【KKコンビ】最後の夏。初戦の東海大山形戦で、一試合29得点の大会新記録を打ち立てて好発進するや順当に勝ち進み、準々決勝で“事実上の決勝戦”と目された好投手・中山(のち大洋、中日で活躍)擁する高知商を撃破して、優勝間違いなしのムードが高まった。しかし、PLの看板ともいえた清原が、準々決勝までは本塁打ゼロ。この高知商戦で中山から今大会の1号を左翼スタンド中段に打ち込むのだが、中山のあまりの剛球に打った清原の金属バットにヒビが入っていたという逸話も残る壮絶な戦いであった。
清原がモタついている間に、ホームランアーティストとして評価を高めたのが、宇部商(山口)の四番打者・藤井であった。藤井は準々決勝までに3本のアーチをかけ、“ドカベン”香川らの持つ大会記録に並び、準決勝の東海大甲府(山梨)戦で大会新記録となる4号ホームランを放ってチームも決勝に勝ち進む。続く準決勝第二試合で、PLは初出場の甲西(滋賀)をワンサイドで退け決勝進出。この試合で、清原は2本のアーチをかけて大会通算本塁打を3本としていた。
そして迎えた決勝戦。宇部商はエース田上ではなく二番手の古谷を先発させるが、この奇襲作戦が功を奏してかPL打線は古谷を打ちあぐねて得点は1点どまり。対照的に、連投の疲れからかピリッとしないPL桑田から宇部商は序盤3点をもぎ取って試合を有利に進める。
ところが、ここから怒濤の“清原劇場”が始まる。4回の第二打席、好投の古谷から藤井と並ぶ大会4号を放ち一点差。そして迎えた6回の第三打席…
カキ〜ン!
甲高い金属音を残して美しい弧を描きながら藤井のいるセンター目掛けて舞い上がる打球に、実況担当のABC(朝日放送)の名物アナ・植草貞夫氏の名調子も冴え渡る!
「上がった!センターに上がった! 藤井が見上げた!藤井が見上げたその上だぁ〜! ホォ〜ムランだぁ!ホォ〜ムランだぁ! おそろしい!両手を上げた! 甲子園は清原のためにあるのかっ!?」
おっしゃる通り、まさに清原の独壇場。せっかく作った藤井の大会記録は、わずか一日で怪物・清原の手によって塗り替えられてしまった。
試合は結局、主将・松山(のちオリックス)のサヨナラ打でPLが勝利。ネクストサークルで松山の打席を見守っていた清原が歓喜の輪の中、涙で顔をクシャクシャにしながら自分の持っていたバットを高々と天に突き上げていたのが印象的だった。
ぎっちょ |
| |
|
| ボイスレコーダー | 2005,8,13 |
|
1985年(昭和60年)に発生した、日航ジャンボ機墜落事故の再現ドラマ『ボイスレコーダー』を見た。520名にも及ぶ被害者はもとより、言われなき中傷に苦悩する機長一家(片平なぎさ他)や、事故調査委員会の調査結果に疑問を抱き独自の調査を進める元操縦士・藤田(竹中直人)のことが随所に織り込まれ、なかなか見ごたえのあるドラマだった。
事故発生当時、ワタシは浪人生。夏休みも遊ぶヒマなく予備校通いの毎日で、夏期集中講習が前半と後半に分かれていたのだが、ワタシは後半に少し楽をしようと前半に受講し、ちょうど講習の日程が一段落ついてホッとした頃であった。我が家ではNHKのニュースを見ながら夕食をとるのが常で、その日も食卓を囲みながら6時台のニュースを見ているときに日航機が墜落したらしいという第一報が入った。7時台になると事故の情報はより信憑性を増し、御巣鷹山の尾根から火が出ているとの情報もあって事態は刻一刻と深刻なものになっていった。乗客名簿から、搭乗していたと思われる乗客・乗員の氏名が次第に明らかになっていき、8〜9時台には各局とも特番態勢となっていた。524名の生存は絶望的との報。いつも夜はラジオを聴きながら勉強していたのだが、当然この日ばかりは深夜にいたっても特番のまま。数分おきに繰り返し読み上げられる搭乗者の名前に、自分が今いるこの場所の上空にも500名以上にもなる被害者のみなさんの魂が、無念の思いを抱いて漂っているような気がして、布団に入ってもどうにも寝つきが悪かった。国民的人気歌手であった坂本九さんや、当時の阪神タイガース球団社長などの著名人が乗っていたことも、事故の印象を強める原因となったように思う。
その後、奇跡的に4名の生存者が発見され、中でも当時12歳の少女だった川上慶子さんは、その薬師丸ひろ子的な容姿も手伝ってかアイドル的な扱いを受け、中には本気で芸能界に誘い込もうとした輩もいたと聞くが、この事故で両親と兄弟を一度に失った彼女の気持ちを考えれば、なんとも常識はずれな話で怒りすら感じたのを覚えている。その後の彼女のことは、幾度かマスコミに現況を報じられたことはあったが、病院を退院したあとは彼女の姿をテレビで目の当たりにする機会はなかった。その後、彼女は看護士になり、結婚もして幸せにくらしているという。
ドラマのクライマックス。藤田宅の郵便受けに、外部には一切出るハズのないボイスレコーダーの一部始終が収録されたビデオテープが投函され、意を決した藤田がそれをテレビ局記者に提供、公開に至るのだが、必死に機体を立て直そうとする機長を始めとするスタッフの苦闘の生々しさは、4年前に初めてニュースで聴いたときもそうだったが、何度聴いても息もできないまま見入ってしまうものがある。加えて今回は、それまでまるで“520人を殺した主犯扱い”であった機長と一家を劇中で見ていただけに、止め処なく流れる涙をこらえることができなかった。
事故原因の真相を隠蔽しようとするかのような動きや、藤田宅にビデオを投函した張本人が誰かわからないなどミステリアスな部分も多いこの事故から20年の節目の今年、その記憶を風化させまいとするかのように日航機のトラブルが相次いでいる。本当の事故原因の究明もさることながら、こうした大事故の再発防止に努めることこそ、尊い命を犠牲にした被害者の霊に報いるただひとつの道なのではないだろうか。
ぎっちょ |
| |
|
| 午前中くらいで切り上げるつもりでいたのに… | 2005,8,12 |
|
昨日は自社の営業会議の後、今週二度目の暑気払い。ツブれはしなかったものの、少々「ウッ」ともよおすものがあった。 「空きっ腹で飲んだからだよ」 と、上司のEさんが帰り道の池袋でラーメンをおごってくれた。今後のことや、S木のグチなどを1時間少々語り合ってお開きとなった。 「明日も出るのか?」 「ええ、そのつもりですが」 「どうせやることねえんなら休んでいいぞ。(自社の)上の人間、誰もいないんだから」 とのありがたきお言葉。
しかし、盆休明けは健康診断。会議資料の入った分厚い紙袋を持って歩くのもかったるいので、それを出向先の事務所へ置きに行くついでに、営業車内で聞くCD作りを兼ねて短パンにTシャツというラフな格好で出向先の事務所へマイカー出勤と洒落込んだ。9時10分ほど前に到着、パソコンの電源を入れ、作業にかかろうとした時… 「ギイ〜…」 とドアが開いた。所長だった。 「あれ〜、休みじゃないの〜?」 「所長こそw」 まったくマジメな人だ。こっちは出勤とはいえ半ば夏休み気分で来てるのに、なにやらいそいそとお仕事されるので、なんとなく気が引けてしまった。と、 「トゥルルルルル」 と電話。ディスプレイを見るとワタシの得意先からだった。 「なんだ、まだ出てんの?」 「能無しで仕事ができないもんでw」 「またあ〜www」 と和やかな会話。元請からもらうようお願いしていた図面が手に入ったのだが、サイズが大きすぎてFAXで送れないとのこと。ホントなら飛んでいくところなのだが、まさか短パンにTシャツで出向くワケにもいかないのでw休み明けに取りに行くことにした。この電話を皮切りに、来るは来るは電話の嵐。 「休み明け入札の物件だから今すぐ見積りくれ」 とか 「○○下水の明細、教えたっけ?」 とか。まあ結果的に出てよかった。 所長はマイカーの車検が今日終わるので、業者から完了の電話が入るまでいるとのことだったので、午後も付き合うことにした。しかし、電話が入ったのは3時過ぎ。それも、引渡しは7時過ぎになりそうということだった。 「しちじぃ〜っ!?」 ここまできたら、とことんとことん。結局、半日で帰るつもりが定時まで所長にお付き合い、と相成りましたとさ。
明日から17日まで夏休み。
ぎっちょ |
| |
|
| インターネットの功罪 | 2005,8,11 |
|
インターネットの自殺サイトを使って殺人を繰り返していた男が逮捕された。一緒に自殺するように見せかけて、首を絞めたり口を塞いだりして殺し、なおかつその被害者の苦しみ悶える姿を映像に残してパソコンに保存していたという。世も末というか何というか…。
こうした自殺サイトや出会い系サイトにおけるトラブルをはじめ、死体などのグロテスクな画像が閲覧できる“有害サイト”の存在が問題であることには違いないが、そういったサイトに規制をかけるのはこれまた難しいものがある。管理する側がパスワードなどをかけたりしないかぎり、クリックするだけでイヤでもそういったサイトにアクセスできてしまうのが現状である。
前途のような事件が起こると、したり顔で【ネット性悪説】を唱える識者がいるが、これからはサイトの規制よりも老若男女閲覧する側のモラルを教育していくのが先決なのではないだろうか。というのも、分別を持って利用すれば、こんなに便利で面白い代物はないハズであると思うからである。
ワタシがとあるサイトで、レスだけやりとりしている『よっち』というハンドルネーム(HN)の方がいる。関西方面にお住まいというのは以前より聞いて知っていたが、先日『よっち』氏が現在京都にお住まいであるという趣旨の書き込みをされていたので、ワタシも10歳まで銀閣寺の近くに住んでいたことを書き込みすると、なんと『よっち』氏はその辺りを毎日走っているばかりか仕事で通っているところもその近辺だという。若い(幼い)頃よく行ったゲーセンや、通好みのラーメン店の話など、まさに“ジャストミート”な内容で、よもやこんなところでこれほど話題に身近な共通項を持つ方に巡り会えるとは思ってもみなかった。
ふだん滅多に見られないものを見たいと思うのは人間の性として理解できる。それを閲覧のみで楽しむか実行に移すかは個人の資質の問題。分別を持ったインターネット使用法を小中学生の頃から教え込むことが、授業時間やら内容やらを論議する以前にこれからの時代には必要なことなのではないか。ワタシはそんな風に思うのだが。
ぎっちょ |
| |
|
| 飲んで〜飲みツブれて眠るまで〜飲んで〜♪ | 2005,8,10 |
|
昨日は、出向先の暑気払いがあった。バカS木が11日から毎年恒例のマレーシア旅行にでかけるためで、店は行きつけの小料理屋でということになったのだが、先週の「O工業注文書隠匿事件」以来、我々所員のイライラもピークであった。今日こそヤツをたたきのめすと息巻くワタシに、 「やめとけ」 と言いながら 「でも、アンタが口火を切ったら俺も言っちゃうかもなぁ」 と『爺』。苦笑いの所長。そんな中、いつものように宴は始まった。 少し酒の勢いも借りようと、いつもより早いピッチでジョッキを空けるワタシ。どのくらい早いかって、ビール党の『爺』が二杯目を注文する頃にはワタシのジョッキは二杯目の半分くらいになっていた。 「ぎっちょさん、いいペースですね。ムヒヒヒヒヒヒヒ」 ノーテンキに笑うS木。おめえのせいなんだよバカ。 二杯目のジョッキも空こうかとする頃、気分も少しよくなってきて、S木を罵倒するきっかけを計っていたのだが、そうこうするうちに瞼がおも〜くなってきた。イカン…やはり、多少以前よりは飲めるようになったとはいえ、今日のピッチはいささか早すぎた。ムニャムニャ…本懐を遂げる前に、ワタシは不覚にも眠りについてしまったのであったw 会が終わる頃、「大丈夫かあ?」という『爺』の声で目を覚ましたワタシだったが、気分はかなりヤヴァい状態になっていた。トイレに駆け込むと、この日食した高級日本料理が空しく便器の中に流れていった(キタナくてスンマセンm(_ _)m)。一段落して店の外に出ると、所長と『爺』がワタシを待っていた。 「大丈夫?」 「はあ、大丈夫ですが…全部出ちゃいましたw」 「うぇ〜、もったいねぇなあw」 という会話を所長と交わしながら歩き始めると、ヤツの姿が見えないのに気が付いた。 「ヤロー、どうしたんですか?」 「ああ、M子ちゃん送って行かせた」 と所長。どうやら、所長も今日はS木抜きで我々と語り合いたいようであった。そのまま誰が引率するワケでもなく、3人の足は旧・『D』のママが7月に新装オープンした『S』に向いていた。 「いらっしゃあ〜い」 「ママ、やっとみんな連れて来たよ」 軽く乾杯を交わしたあと、所長の口から衝撃の事実が。 「こないだ、自社にS木(゚゚)イラネって言ってきたよ」 そういえば、例の「O工業注文書騒動」の翌日、予定表に行き先も書かずに所長が姿をくらましたことがあった。どこへ行ったのかと思っていたらそういうことだったのか。 「でも、こっち(自社)でも(゚゚)イラネって言われちゃったよw」 こうした逆風もなんのその、明日からのマレーシア旅行に思いを馳せてニタニタヘラヘラのS木を見るのは忍びないと、今日は近場を回って直帰した。起これ!大地震。大津波。S木を一息に飲み込んでしまえっ!マジメにそう願う今日この頃。 ぎっちょ 『実録!G・S戦記』に戻る |
| |
|
| 甲子園熱闘史 第ニ夜 | 2005,8,9 |
|
今日のお題は、『報われし陰の努力』
「絶対的エースの存在」は、甲子園で勝つ条件のひとつである。第62回大会(昭和55年)を湧かせたのは、横浜高校の愛甲猛(のちロッテ、中日)と早稲田実業の荒木大輔(のちヤクルト、横浜)の二大アイドルエースであった。特に彗星のように現れた一年生・荒木の人気たるや凄まじく、甲子園に“大ちゃん旋風”を巻き起こすほどだった。また荒木はルックスだけでなく、三回戦から準決勝まで3試合連続完封を含む44イニング連続無失点記録を作るなど実力も十分。一方の愛甲も投打に活躍を見せて前評判通り順当に勝ち進み、決勝の組み合わせは横浜vs早実のアイドルエース対決となった。
当日の甲子園は、二大アイドル投手の息詰まる投手戦を期待するファンで超満員となった。しかし、試合が始まるや事態は意外な方向へ進み始める。
やはり、愛甲も荒木も人の子であった。一回の立ち上がり、緊張のせいか制球が甘くなる愛甲につけこんで早実が先制するもその裏、それ以上にガチガチの荒木を打ち込んで同点、荒木の無失点記録はここでストップした。緊張の糸が切れたのか荒木はさらにボークを犯して横浜が逆転、打線も好調で三回までに5―1として荒木をKOした。しかし愛甲もピリッとしない投球で、4回に一点差まで追い上げられたところでこれまたKO。白熱の投手戦を期待された両エースが、ともに序盤でKOされるという“異常事態”となってしまった。
乱打戦となりそうだった試合を締めたのは、二番手で登板した両校の控え投手であった。早実の芳賀はエースナンバーの背番号「1」をつけながら一年生の荒木の後塵を拝した鬱憤を晴らすかのように、4回以降強打の横浜打線を1失点に抑えた。文字通り愛甲の“影武者”に徹してきた横浜の川戸は8回まで早実の反撃を無失点で切り抜けて、いよいよ9回。走者を出して苦しむも、愛甲の影となって耐えてきた悔しさをこめた渾身の投球。最後の打者を三振に切って取った瞬間、マウンドで両腕を天高く突き上げて人目もはばからず号泣する川戸を中心として、愛甲をはじめ横浜ナインの祝福の輪が広がっていった。3年間控えとして耐え忍んだ男の苦労が報われ、土壇場で大輪の花を咲かせた名シーンとして特に印象深い。
愛甲はプロ入り後、打者に転向して活躍。荒木も全5期甲子園出場を果たし、プロでもヤクルトの主力投手として活躍した。
ぎっちょ |
| |
|
| 甲子園熱闘史 第一夜 | 2005,8,8 |
|
昨年もやりましたが、夏の甲子園開幕直前すぺさる企画。今年もやりますよぉ〜('0')/ハア〜ベンベン!
福島代表・聖光学院の舟田投手が、9回1死までノーヒットの快投。惜しくも大記録は逃したが、今日はそんな、寸でのところで大記録を逃した男たちの物語。
題して 『一球の明暗』
まずご紹介するのは、第64回大会(昭和57年)の佐賀商―木造(青森)戦。佐賀商のエースは、のちにプロ野球の西武や日本ハムで活躍した新谷博。この新谷が快刀乱麻のピッチングで、無失点無安打どころか一人のランナーも許さない。6回を終えた頃から場内もザワつき始め、8回でスコアも6―0となり佐賀勝利はほぼ間違いなくなって、否応なしに偉業達成への期待感が高まる。迎えた9回、先頭打者の打った打球が痛烈に遊撃を襲う。抜けた!と思った次の瞬間、横っ飛びに飛び付いた遊撃手が間一髪補球して一塁へ矢のような送球!ヘッドスライディングする打者走者!判定は…?
「アウトッ!」
この瞬間、ワタシも含めてこの試合を観戦していた多くの人が、新谷の完全試合達成を確信したのではないだろうか。次打者も三振で、いよいよあと一人となり、ここで木造の監督は一年生を代打に送る。夏の甲子園大会史上初、完全試合の快挙目前、見えないプレッシャーが新谷の手元を狂わせたのか、その投じた球が打者の内角をえぐり、のけぞってよける打者の左腕に当たってしまった…
「デッドボール!」
場内の歓声がため息に変わる。小躍りするように一塁に駆け出す一年生打者。一瞬天を仰ぎマウンドで苦笑いの新谷。結局、次打者を打ち取ってノーヒットノーランは達成したものの、史上初の偉業を逃した新谷の顔は、勝利しても複雑なものに見えた。
※これ以降も夏の大会での完全試合達成者は今だにない
新谷は勝ったからまだいい。偉業目前にして“天国から地獄”に落とされたのが、第66回大会(昭和59年)に出場した境(鳥取)のエース、安部だった。一回戦の法政一(西東京)戦。前評判の高かった安部は期待に違わぬ好投を見せ、9回まで法政一打線を1四球のみのノーヒットに抑えこんでいた。しかし、味方打線も法政一の下手投げ技巧派投手・岡野の前に再三のチャンスを潰して無得点。試合は延長戦にもつれこみ、迎えた10回裏法政一の攻撃。安部の投じた球を法政一・末野が強振すると、空中高く舞い上がった打球はそのまま左翼ラッキーゾーンへ飛び込むサヨナラアーチとなってしまった。マウンドでうずくまったまま動かない安部…晴れの甲子園で唯一打たれた安打がサヨナラホームランという空前絶後の珍記録となってしまった。
ぎっちょ |
| |
|
| ぎっちょの手術史【後編】 | 2005,8,7 |
|
忘れもしない1992年の9月。誕生日(24日)間近になって突然高熱に襲われた。会社を休み、しばらく熱がひかない状況が続いたが、3日ほどしてようやく熱が下がったので、少々無理を押して出社した。というのもその夜、東京ドームでの中日―巨人戦を父と観戦する予定があったためでもあった。
翌日は土曜日で休日だったのだが、再び出た高熱とともにケツの穴付近にデキモノもないのに鈍い痛みがあった。たまらず近所の町医者に診てもらうと、腸の異状かもしれないから大きな病院で診てもらった方がいいと、日大板橋病院の知り合いの医師を紹介してもらい、月曜に病院で診断してもらうことになった。
ところが日曜日になって痛みが増し、歩くことはおろか立ち上がることも寝返りを打つこともままならない状況まで事態は悪化。地獄のような苦しみを丸一日味わって翌日、母が付き添って日大板橋病院へタクシーで出向いた。
診断は『直腸膿瘍(のうよう)』。毛穴から入った黴菌によって直腸付近が化膿して膿が溜まり、それが大きくなって直腸を圧迫しているらしい。即切開手術を施して膿を取り出し、入院と相成った。
ただでさえすることのない入院生活唯一の楽しみといえば、やはり『看護婦さん』。以前友人が、やはり入院中に知り合った看護婦さんと退院後にデートした話なども聞いていたので、術後の痛みに耐えながら「あわよくば…」の野望に燃えるぎっちょなのであった…
しかし…そんな野望も粉々に砕く、あんな“屈辱”が待っていようとは…!
傷口は縫合せず、膿が完全になくなるまでガーゼを傷口に挟み込む形で過ごしたのだが、一日一回交換の際の激痛もさることながら、傷口が肛門付近(お食事中の方いらっしゃったらゴメンナサイm(_ _)m)にあるため、ガーゼを取り替えるにあたってはちょうどアノ時のアノ格好をしなければならないのだ。
そう、【赤ちゃんがオムツを取り替える時のアノ体勢】に。
うら若き看護婦さんにそんなことされるなんて、もう“恥辱プレイ”以外の何物でもありませんわな_| ̄|○
結局二週間の入院生活を送ったが、あまりのこっぱずかしさから口説くこともできずに色っぽい話には最後まで発展せずじまいでしたとさ。チャンチャン♪
ぎっちょ |
| |
|
| ぎっちょの手術史【前編】 | 2005,8,6 |
|
いつもお邪魔している『NBアナヲタ』サイトの管理人・にゃお様が入院、手術することになったそうで。はばかりながら、こんなところからお見舞い申し上げます。一週間程度の“ご滞在”となりそうとのことだったが、とかく入院生活はすることがなくてヒマなもの。というのもワタシ、この年になるまでに三度の入院〜手術を経験しておるのでありまして…
最初の入院は5歳の時。熱を出しやすく、幼稚園を休みがちだったワタシは、その原因となっていた扁桃腺を切ることになったのであった。
※扁桃腺の『扁桃』とは「アーモンド」を意味します。ご存じですたか?
なにせ5歳なのでうろ覚えもいいところなのだが、退院してもしばらく物を飲み込む時にノドに痛みを感じたのと、入院中に両親から『怪獣・怪人大百科』という本を買ってもらったことはよく覚えている。
二度目の入院は中3になる春。朝からジイ〜ンとした痛みがお腹にあって、冷えたのかと思ってストーブで暖めていると一層痛みが激しくなって動けなくなり、慌てた母が呼んだ、生まれて初めて乗る救急車で病院に担ぎ込まれた。診断は『急性盲腸』。即手術、ということになった。盲腸といえば…そう、「剃毛」ですよ、て・い・も・う♪年頃の中学生が、チ○チ○の根元のあたりまでパンツを下ろし、ジョリジョリ毛を剃られるというのはなんとも…w 手術は下半身のみの局部麻酔で行われたので意識ははっきりしており、 「何か感じますかぁ?」 という医師の問い掛けに、かすかにお腹をつままれるような感覚があると告げると 「あ、麻酔効いたようですね。じゃあ始めまぁ〜す♪」 盲腸の手術は初歩の初歩ともいえるせいか、執刀する医師も助手もすっかりリラックスモード。 「これはこうなってるんだよ。ほら」 「おお〜っ!」 なんて執刀する医師と助手の会話が逐一耳に入ってくる。 「はい、無事切れましたよ」 と言って医師が切りたての盲腸をワタシに見せた。例えるなら、サザエなどの焼いた巻き貝の中身を取り出したもの…そんなんだった記憶がある。
手術後最初の土曜日、当時所属していたバスケ部のメンバーが大挙して病室に押しかけた。 「っていうか練習は?」 土曜日は通常1〜3時は部活があるのだが、この日は顧問の先生が練習を休みにしてワタシの見舞いに行けと指示してくれたと聞いた。数年前に何年かぶりで先生を交えてその時のメンバーが集まった時、先生にこの話をしたのだが、トボけているのかマジボケか 「そうだったっけ?」 とかわされてしまったw
それから約12年後の92年9月、ぎっちょは再び入院・手術を経験するのだが、それは明日のこの時間に。ハア〜ベンベン('0')/!
ぎっちょ |
| |
|
| 明徳義塾出場辞退の衝撃 | 2005,8,5 |
|
明日開幕する第87回夏の甲子園に8年連続出場を決めた高知代表・明徳義塾高校が、突然出場辞退を申し入れ、了承された(代替出場は規約により県大会準Vの高知高校となった)。春のセンバツは代表校決定から約2ヶ月の空白があり、その間に不祥事が発覚した学校が出場を辞退するケースも度々あったが、代表決定から開幕まで1週間余りしかない夏の大会でこのような事態になったことは今だかつてなく、もちろん史上初の珍事だという。
報道されているところをかいつまんでいくと、不祥事の内容は部員の喫煙と体罰などの暴力行為で、それもすべて4〜7月に発生したものという。いわゆる“内部告発”があって明徳側がそれを認めた格好であるが、対戦相手も決まり、夢舞台に思いを馳せていた選手たちの気持ちを思うと胸が痛む。
何でも、部長と監督はこの不祥事を承知のうえで「内部で処理するつもりだった」とのコメントが入ってきた。事実だとすれば、指導者としての認識・対応の甘さを糾弾されても言い返す言葉もないハズだ。不祥事を隠してでも勝てばすべて許されるとでもいうことか?この馬淵という監督は、92(平成4)年の大会で、星稜の松井秀喜(現ヤンキース)を5打席敬遠して物議を醸した“前科”がある。少子化に伴う学校存続のための【勝利至上主義】の副産物…だとすれば、馬淵もまた被害者、と言えなくもないが…。
当初明徳の対戦相手だった日大三(西東京)にとっても、いい迷惑だ。初戦から強豪同士の激突とあって、当然データ集めや分析などもぬかりなく試合に向けてモチベーションを高めていたことであろう。それが直前になって突然のドタキャン。高知ナインには申し訳ないが、伝統校とはいえ近代の高校野球界では明徳と比べればやや格落ちの感は否めない。日大三ナインの士気にも影響がないか、気になるところではある。
高校球児が清廉潔白、なんてのはマスコミ(朝日)の作り出した偶像にすぎないというのは、もはや公然の秘密である。もちろん試合は一生懸命戦うが、お年頃のイマドキの高校生、それなりに“性春”は謳歌しているであろうし、暴力(体罰)だってなくなるハズがない。そういったことを起こさないように生徒を厳しく律し、起こしてしまった時は潔く事実を認め、事の重大さを生徒に説く。本来あるべき指導者の姿って、そういうもんじゃないのか?不祥事の隠蔽をはかった馬淵の行動は、馬淵の指導者としての権威を失墜させたのはもちろんのこと、02年に全国制覇を果たし、98年の松坂がいた横浜との死闘など数々の輝かしい明徳野球部の球歴をウンコまみれにしたにも等しい大失態であると断じたい!
ぎっちょ |
| |
|
| おもしろサイト | 2005,8,4 |
|
『ブログの女王』こと眞鍋かをり姫の最新ブログに、面白いサイトが紹介されていました。個人の【恋愛観】を判定するサイトで、やり方は簡単なアンケートに答えるだけです。ちなみに、ぎっちょの判定結果はこのようになりますた。 判定結果もう、古くからぎっちょのことを知る方にとっては笑いが止まらなくなるのではないかという、【モロ図星】の判定結果ですよね? 自己犠牲の精神『変』w駆け引き『極端』w騙されやすいお馬鹿さん(激爆 これと合わせて、ワタシと「kawori」こと眞鍋姫との相性も観てもらったのですが…そこには【笑激】の判定結果がっw(☆o◎)w! 自己犠牲の精神⇒ぎっちょさんがkaworiさんに見返りのない愛を注ぎ、いずれ朽ち果てます 朽ち果てる…(*_*) 駆け引き⇒ぎっちょさんは完全にkaworiさんの尻に敷かれ、逃亡を企てます \(◎o◎)/! 許容と束縛⇒kaworiさんがぎっちょさんを好きかどうか、疑わしく感じられます 。。。。(〃_ _)σ‖ いやあ、おもしろい。実におもしろい!ちなみに下記URLから、あなたの恋愛観とぎっちょとの相性が判定できます。 ↓ 相性判定あ、ただし女性限定です。男の方や身内が相性占ったりなんかしたってキモいだけですから。ええw ぎっちょ |
| |
|
| 棒茄子 | 2005,8,3 |
|
勤め人をされている方々のほとんどは、もうすでに夏のボーナスを手にされているのではないかと思います。ワタシも遅ればせながら、明日がボーナスの支給日であります。もちろん額が多ければ多いほどいいのは言うまでもありませんが、金額にあまり拘りのないワタシは、とりあえずマンションローンのボーナス払い分+小遣い程度あれば「まあよし」と考えるのであります。毎年今時分になると口座が腹を空かせてピーピー泣いていることが多いのですが、今年は3月に予定外の出費(NEW PC購入)があった割には口座を泣かすほどの緊縮財政ではなかったというのは我ながら少し驚いております。いや、キビシイことはキビシイんですがw
ウチの会社は本社が北海道なんですが、ボーナス支給の際は社長が自らこちらに出向いて見えて、一人ひとりに現金手渡しで支給されます。社員全員に振り込んだ場合の手数料と社長の渡航費などを比較したら、どちらが会社が推し進める【コスト削減】に繋がるか…そんなことは知ったこっちゃありませんが、まあ確かにいつの間にか知らないうちにポンと口座に振り込まれているよりは、社長直々に現ナマを手渡された方がありがたみが増すのは確かであります。しかし札束なんて普段手にすることは少ないから、もらった時点では 「薄っ!」 と思って封を開けてみると意外に多く…というのも過去にはありました。過去には…orz
さてその使い道ですが、車検は昨年終えている(年次点検のため数万の出費はありますが)ので今年はローン以外の大口の出費はしなくて済みそうです。CDやDVDソフトの購入意欲も以前ほどなく、強いて言えばドリフのDVD―BOX第二弾くらいかと。あとは、仕事で履いている靴の先が開いて今にもしゃべりだしそうになっているwので新しい靴と、半袖のワイシャツ数枚と、新しいテニスシューズとラケットと…あ、でも最近“飲み助予備軍”となりつつあるから、案外飲み代がいちばんかかっちゃったりしてなー、なんて…
そんなに出るのかな…_| ̄|(((((○
ぎっちょ |
| |
|
| 『爺』刑事、S木をガサ入れ | 2005,8,2 |
|
昨日のことであった。県内某市のO工業という会社から、以前取り交わした注文書の請書が返ってきていないとのことだった。O工業は、今は『爺』が担当しているが、その前に担当していたのはS木…っていうかこれ、以前にも同じような話がきて、請書送ったんじゃなかったっけ?と思って調べたら、3ヶ月ほど前にも同じようなことがあった。(※5月9日付本稿ご参照あれ) 「いや、送りました。送りました。」 と言い張るS木。じゃあいつ頃、誰宛に送ったのかと問い詰めると、 「か、かなり前のことだし…誰に送ったかも、よく覚えていませんねぇ。」 送ったとする書類の控えもとっておらず、確認のしようがない。東京本部の経理係も帰宅したあとだったので、仕方なく明日にしようということになったのだが、ろくすぽ反省する素振りも見せずにスロットに向かったS木のヤル気なさに、『爺』の怒りも沸点近くまで湧き上がっていたのであった。 一夜明けて今日。S木は珍しく早くから外出。直行していたワタシが10時すぎに事務所に戻ると、所長と『爺』の二人が残っていた。 「O工業の件、片付いたんですか?」 ワタシが『爺』に尋ねると、 「あんにゃろう、『私の責任で処理します』って言ってきやがったけど、断ったよ。信用ならねぇもんなぁ」 と『爺』。それやこれやと三人で話をするうち、 「送ったとか言っておいて、まさか机の中に請書隠して溜め込んでるんじゃなかんべぇな?」 と『爺』が言い出し、S木がいないのをいいことに三人で机の引き出しをひとつひとつ調べ始めた。向かって右側の引き出しは三段になっているのだが、それを上から順にひっくりかえしていって二段目をあさっていた『爺』が 「おおっ!あったぞぉっ!」 と声を上げた。中から、出るわ出るわO工業の請書の山。平成15年10月の日付のものも合わせ、10件近くの請書が机の上に並べられた。 「あいつ何やってんだ…」 温厚で沈着冷静を絵に描いたような所長も、さすがにアキれ顔。健康診断のため出かけた『爺』に代わり、 「早く戻って請書整理しろ!」 と珍しく半分キレ気味にS木に電話していた。 ワタシが夕方戻ると、S木だけが帰ってきていた。さすがに今日くらいはヤツも…と思ってるそばから、 「今日暑かったでしょ?ムヒヒヒヒヒヒ」 ときたもんだ。その問い掛けには一切応じず、目一杯低く押し殺した声で 「請書やったのかよ?」 とワタシ。予想外の切り返しだったのか、 「え?…あ、はい」 と言ったっきり押し黙るS木。その後戻ってきた所長や『爺』に、 「どうもお騒がせいたしました。ムヒヒヒヒヒヒ」 という態度からは反省の色はまったく見えず、怒りに震える『爺』やワタシを尻目に、6時半すぎにはいつものように“例の場所”へと勇んで行った。なんという精神力! 来週は事務所の暑気払いがある。本来は楽しくなるハズの場でヤツを地獄へとたたき落とす。今度こそ、希代のノータリンバカを完膚なきまでにたたきのめす!来週のこの時間をお楽しみに! ぎっちょ 『実録!G・S戦記』に戻る |
| |
|
| なぜか明菜 | 2005,8,1 |
|
ここ数日、なぜか無性に中森明菜が聞きたくなって、営業車でCDを聞きまくっている。
ワタシが高校生の頃、アイドルといえば中森明菜と松田聖子の2強並列時代。ワタシは、ひたすら媚びを売る聖子よりも、どこか斜に構えた明菜の方が好きだった。
明菜の魅力は、高音から低音まで幅広い音域もさることながら、何よりその“妖艶さ”にあった。幼少時から覚えのあったバレエの要領で、スタイルのよい柔らかな身体をくねらせて踊る振付けには、男心をゾクッとさせる【艶】があった。
明菜は、ことアルバムにおいてアイドルらしからぬ“冒険”をよく試みた。86年夏に発売された『不思議』というアルバムは、明菜の声をBGMと一体化させるというコンセプトのもと、あえて明菜の声が聞き取りにくい形で製作されたのだが、これを製造上の不具合と勘違いした一部のファンから「明菜の声が聞こえない」という苦情が殺到したためか、翌年その中から何曲かセレクトして、声がちゃんと聞こえる形にした『WONDER』というアルバムがリメイク発売されている。
明菜は、バラードもアップテンポの曲も歌いこなす抜群の歌唱力を持っていた。その姿に、結婚のためとはいえ絶頂期に引退した山口百恵の姿をダブらせた向きも多いのではないだろうか。そんな明菜が、全編ハードロック調の曲を揃えたアルバムが『STOCK』(88年)。革ジャン着てスタンドマイクを振り回して歌うのが似合いそうな曲のオンパレードで、明菜らしからぬ曲調という意味で特筆される一枚だ。珍しいといえば、全曲英語詞の『Cross My Palm』(87年)も付け加えておきたい。
ワタシが最後に買った明菜のアルバムが、『アルテラシオン』(95年)。全編に漂うエキゾチックともいうべき雰囲気。シングルカットされた『原始、女は太陽だった』は、スペインはマドリードの無人の闘牛場あたりで、悩殺的な衣装を身にまとい情熱的かつ華麗に舞い踊る明菜の姿を思い起こさせる、官能的な曲である。
思えばこの95年の明菜が、ワタシが見た最後の【明菜らしい明菜】であったような気がする。私生活のトラブルに端を発した凋落、明るく振る舞えば振る舞うほど痛々しく見えた痩せさらばえる一方の身体。当時全盛を誇った小室哲哉に泣き付いて(少なくともワタシにはそう見えた)まで売れようとする哀れさ。最近も、複数の男性の手で要所を隠したヌード写真をジャケットにしたCDを発売したが、ほとんど話題にもならなかった。往年の明菜を知る者にとっては、何とも寂しい現状ではある。
今回営業車内に持ち込んだのは、前出の2枚とデビュー2作目の『バリエーション』という作品。これは、金沢へ修学旅行に行ったバスの中で聴いていたもので、『ヨコハマA・KU・MA』という曲が流れた時、ちょうどその曲を聴きながら見た東尋坊近くのきらめく海岸線の風景がふと頭をよぎった。
ぎっちょ |
| |
|
|